HIV感染に係る障害者自立総合支援プログラム等研究開発事業
2008.1.20
01.生きる環境は整ってきたが
薬害エイズ被害者20数年の経過を見て、生きる環境が整ってきた。
ここ数年、はばたきに寄せられる相談の中に、被害者の両親から被害者(患者)の将来に対する不安を訴える声が増えてきた。
「今までは何とか経済的にも精神的にも息子(患者)を支えてきたものの、定年を過ぎ年金暮らしとなった身ではどこまで面倒をみられるか不安」という内容である。
息子(患者)は職についておらず結婚もしていない人が多いのが現実である。
02.患者の40%以上は30代
被害者(患者)の年齢分布は30代が全体の40%以上を占める。
この人たちは、HIV感染告知時期は10代から20代の思春期であった。このことが何を意味するかというと、社会人としての準備段階で、自己抑制や病気などに向き合わずに逃避的な生活をして、進学や職業選択に大きく影響があったかと思われる。
しかし、被害者の中のどのくらいの人々が職についているのか、また雇用形態、職種等は正確には把握されていない。
03.患者実態調査の低回収率が意味するもの
何年か前に患者実態調査を行ったが、アンケートの回収率は4割にも満たなかった。
アンケートの回収率の悪さが何を意味しているのかはこれまた推察の域をでないが、回答しないということが
(1)仕事に忙しく回答する暇もない
(2)状況が良くないためアンケートに回答する気持ちにもなれない
(3)この被害に関する一切に関わりたくない
ということなのか。
少なくとも(2)でなければいいと願うばかりである。
04.就労率が低いと仮定した場合の理由
仮定として職についている割合が低いとした場合、その理由は
(1)体調が悪く就労することができない
(2)就労可能な体調であり就労する意志はあるがしていない(できない)
(3)就労する意志がない
など大きく分けても3つあるが、果たしてどのような割合であるのか。
理由が(1)の場合は治療が何より優先され、最新かつ適切な医療をサポートするなどの対応が考えられるが、(2)(3)の場合はどのように対応していくか早急に考えていく必要がある。
05.働く喜びがもたらすもの
ここで何故就労に焦点をあてたかというと、就労とは限らないが、体調の維持・管理に関しても何か目標などがある場合は比較的うまくいっている場合が多いからである。
実際、「働いていると生活リズムができるし、体調管理がうまくいかないと仕事に差し支える」、「(副作用がきついとされている治療も)仕事をしていたほうが気がまぎれる」、「家族を支えるためには仕事を辞めるわけにはいかない」ということをよく耳にする。
06.就労は社会参加にもつながる
それ以外にも、経済的なゆとりは精神的なゆとりをももたらし、ひいては病状にも良い影響があると思われる。
また、経済的なことを除いても社会的な活動に参加するということも精神的にも大きなことだと考えられる。
一般的に働く男性は職場での人間関係=全ての人間関係になりがちであることから、ただでさえ被害故に人間関係や社会とのつながりが薄くなっているのであれば、職に就き社会に出ることは重要である。
01.「HIVに感染したら仕事を辞めなければいけないのですか?」
つい最近事務所に1本の相談電話が入った。
「HIV抗体検査を受けたが結果がでるまで不安でたまらない、もし感染していたらどうしたらいいのですか、仕事は辞めなきゃいけないのですか?」というひどくうろたえた状態である。
不安により冷静さを失っていることは察しがつくが、私は"感染している=仕事を辞める!?"という言葉に大きく反応した。
相談者のこの言葉は一体どのような意味があるのであろうか?
02.就労はすべての感染者に共通の問題
通院や服薬、体調管理には十分気をつけなければならないだろうが、HIV感染者が働くことはその体調にもよるが、自然なことではないだろうか。
とぼんやり考えている時、ふと薬害被害者特有の問題と思っていた就労は、感染経路を問わないだけでなく(現に感染経路の異なる方からの就労に関する相談はある)、また感染しているかも確定していない人へも共通とする問題のようである。
03.HIV感染者就労のための恊働シンポジウム開催へ
それまでも被害者特有の問題として捉えていた訳ではないが、改めてHIV感染者全般の抱える問題の一つとして就労を考えるようになった。
また、差別・偏見に対する効果的な策も見つからない現状の中、もしかして『就労』をキーワードにそれらも打開できないかと考えるようになった。
"感染している=仕事ができない"ということ自体が大きな偏見ではないだろうか。
HIV感染者はもちろん、企業、行政、医療者らが協働して、HIV感染者のための就労シンポジウムを開催しよう!ということで、昨年10月14日に「HIV感染者就労のための恊働シンポジウム」を開催しました。
その時の様子・その後の報告会レポートなど、こちらの特集ページに掲載しております。
04.感染者は働くことができないという偏見
仮にその考えを感染者がもつのであれば、自身の病気への偏見が大きいのかもしれないし、中には仕事ができないことへの言い訳にすることもあるかもしれない。
一方、非感染者がそのように考えるならばHIVに関する知識がないということであろう。
ここでいう知識がないということは、HIV感染者が働いている人を知らないというだけのことかもしれない。
何故、知らないのであろうか、現に働いている人は大勢いるのに。
05.知らないが故の偏見を打開するために
その理由は偏見を恐れる感染者は自分がHIV感染者であると打ち明けて生活はしてはいないからである。
この病気でなくても、聞かれもしないのに「自分は○○の病気だ」と名乗る人がどれくらいいるだろうか?
でもまてよ、知らないが故の偏見を打開するには姿を見せることが効果的なのかもしれない。
知ってしまえばなんてことないということはたくさんある。
そんな実例を求め感染を周知して働いている人はいないか探すことにした。
01.HIV感染者に関する企業アンケート
一方の世間の状況はどうなのか?世間と行っても範囲が広すぎるので、就労というキーワードでいくならば、ここは企業をターゲットに意見を聞かせもらおうではないか。
深く考えもせずに、企業に対してHIV感染者に関するアンケートをとることにした。
どのような質問内容にするか、企業とはいえ対象をどうするか。
某企業の社会貢献を推進する団体の理事長にご助言をいただくために連絡を取った。
02.HIVをテーマにしたセミナーの参加者は極端に少ないという事実
その団体の理事長は『企業アンケート』の意義については深く同意してくれたが、「HIV問題は難しい。うちもセミナーを年間何回も開催しているけれど、HIVということをテーマにした時は極端に参加者が減った」ということを述べられた。
その時は、そのようなものかなという程度に聞き流していた。
それよりも質問内容に助言をいただけたことに満足していた。
が、後にその言葉の真実味を味わうことになろうとは予想だにしなかった。
03.企業1,000社へアンケートを送る
まずは助言をもとに質問紙を作成した。
そして就職活動のとき以来、目にもしたことのない会社四季報を購入し、上場企業をアットランダムに1,000社選びをした。
総務課に送るのか?人事担当者と宛名して送ればいいか?などいろいろ考えた挙句、代表取締役社長(余談だが、会社によって異なる。CEOというところもあった。日本も随分カッコヨクなったものだと関心などもした)名で返信封筒を同封して送った。
04.しかし返事は来ない
待てど暮らせど返事は来ない。
時期が悪かったのか?そう、丁度お盆の直前に郵送したのだ。
企業の人事部で働く方に、「会社にはいろんなアンケートがくるから、目立つようにしないと開封もしない」と言われていたので、封筒の表面には助成元の『厚生労働省』の文字も入れ、カラー刷りにもしてみたのだが。
と、宵待草のメロディが繰り返し流れる頃に、郵政民営化の文字が入った郵便配達員が一通のはばたき返信封筒を手にしていた。
05.郵便配達に一喜一憂する日々
その日以来、郵便配達員が訪れる時間になると事務所の入り口を気にするようになった。
それはラブレターの返事を待つ心境に近いものがあった(少し違うかもしれない)。
「こんにちは」と元気の良い声で郵便配達員が事務所の扉を開けるたび、次の言葉に耳を聞きたてるようになった。
「速達です」と言ったときにはがっかりてしまい、その理由が分からない配達員は怪訝そうな顔をしていた。
06.1ヶ月で30通
と、このような日々が1ヶ月程続き、残暑の頃に届いたアンケートの返事は30通であった。
とある研究者に30通の返事しかこないとつぶやいたら、「えー、すごいじゃない30通。30%の回収率じゃない」と言った。
彼女は郵送数を100と間違えていたのである。
郵送したのは1,000通だと告げると急にこちらをいたわるような悲しげな表情になった。
その顔を見て、逆にやる気がでてきた。
助言をいただいた某団体の理事長の顔が浮かんだ。
07.回答率は4%
その後、ぽつぽつ返事がきたが結果的には40通だった。
回答率4%。この数字をどう判断するか。
悲観的にも考えられるが、しかし中には「私個人としての意見はありますが、社全体としての回答はできかねます。すみません」、「今までHIV感染者の雇用ということに関して検討したことがないものですからお答えできません。今後は考えるべきことですよね」と事務所へ連絡をいただくこともあった。
やったからこそわかった。
そこに意味あり。
01.アンケートからインタビューへ
アンケートだけではいかん。
手紙形式は一方的で終わる可能性が大きい。
WEB上でアンケートをとることも考えたが、手間と費用がかかりそうなのでその案は今回は却下。
直接話を聞いてみよう。
次にインタビューを行うことにした。
アンケートの結果が芳しくないにもかかわらず、やる気だけは大きくなっていった。
理由はわからない。
直接説明すれば承諾してもらえるのではと青臭い気持ちで企業に当たってみた。
02.「一個人」の立場で企業インタビュー
やる気は大きかったものの、見ず知らずの企業に連絡をするのにはさすがにためらいがあり、まずは手始めに普段付き合いのある企業の方数人に連絡をした。
「うーーん、協力はしたいけれど企業名はだせない。一個人、一般の社会人としての意見ならなんとか協力できるかも、でもHIVについて何にも知らないけれどそれでいいなら」というような返事が多かった。
その返事こそ、こちらが望むところだった。
03.回答が得られないというHIV特有の問題
アンケート同様、インタビューを受けてくださる企業は少なかった。
この事実にがっかりすることはなく、むしろこれこそが何かの答えであると感じた。
調査は質問紙なりインタビューの回答から何かが見つかるのであろうが、この回答が得られないということが、HIV感染者を取り巻く環境の答えであると思う。
回答のない回答。
本当に予想以上にHIVに関する状況はいろいろな意味で難しい。
04.ハローワークインタビューへ
企業アンケート、インタビューを行う一方で、就職と言えばハローワーク(応援の意味をこめて)。
職安という名前をイメージアップのために名称を変更したというハローワークにもインタビューを行うことにした。
HIV感染者で障害者手帳を取得している人は望むのであれば障害者枠で就職活動をすることができ、障害者の法定雇用率等有利に就職すること可能であるということを強調していた。
01.全国6か所でインタビュー
一方、就職と言えばハローワーク!(宣伝の意味をこめて)イメージアップのために名称を職安から変更したというハローワークに全国6か所でインタビューを行った。
ニュース等で東京と地方の格差に対して嘆く宮崎県知事の姿を見るにつけ、東京に本部を置く本事業団は、HIV感染者に限ることなく就労に関してどのくらい地域差(性)があるのか知りたかった。
とはいえ、今回は札幌、仙台、東京、大阪、福岡、那覇と、宮崎県知事がいうところの地方とは違うのかもしれないが。
02.障害者手帳のメリット
ハローワークは国の機関であるから基本的にはサービスは同じということが前提らしい。
HIV感染者は知らない方も多いかも知れないが、本人が希望し条件に合えば、障害者手帳を申請し、障害者手帳の取得ができる。
障害者手帳を取得している人は、望むのであれば障害者枠で就職活動をすることができ、障害者の法定雇用率等有利に就職することが可能であるということを強調していた。
→詳細は3月中旬発行の『はたらくbook』、報告書へ
03.病名を告げる人は少ない
インタビューから、HIV感染者が実際に自ら病名を告げてハローワークを利用している人は少ないということだった。
プライバシーのこともあるが、もしかしたらハローワークの障害者への特別な配慮・対応があることを知らなかったり、障害者枠を利用して就職活動ができたりすることを知らないだけではないだろうか?
そういう自分も今回初めて、ハローワークのHIV感染者への対応がどのようなものなのかを知った。
04.HIV感染者を就労に導いたハローワーク職員
某ハローワークの中にとても熱心にHIV感染者の就労に取り組んでいる方がいた。
現に数名を就労に結び付けた実績がある。
それは地域的にみても特に求人率が高いとも思えないだけに意外?なハローワークの職員であり、それは何故なのかとふと考えた。
たまたま幸運が重なったのかもしれないし、求職者(感染者)のスキルが優れていたのかもしれない。
または職員の手腕がすぐれているのかもしれない。
でも何か他に理由があるように思える。
05.その職員はHIVの教育を受けていた
憶測ではあるが、その職員はHIVに対する偏見がないのかもしれない。
人を物に例えてはなんだが、「この商品はおすすめできない」と心の中で思いつつ売り込むセールスマンの商品よりも、「この商品、いいところありますよ」と心から思って売り込むセールスマンの商品を買うのではないか。
聞くところによると、その職員は学生の頃HIVの教育を受けているとのこと(本人は自覚していないようであるがHIVに対する負のイメージはないようだ)
06.多くの人はHIV感染者を知らない
偏見というと難しい問題になりがちだが、企業でもハローワークでも、「HIVに対する偏見はありますか?」と聞けば、はっきりした答えは返ってこないと思う。
あったとしても高らかに「ありますよ」と言う人は少ないだろうし、「ありません」という答えの場合は「これまたどこまで?」と聞き返したくなる。
むしろ「わからない」という答えが一番多いのではないか。
何故なら、多くの人はHIV感染者を知らないのだから。
01.HIV感染者は「会ったこともない人」
ある日、あまりHIVに関心もなさそうな企業に勤める友人に何の気なしに尋ねた。
「HIVに対してどう思う?」と。
友人から「偏見とかについて答えがほしいの?だったら無理。だってHIV感染している人に会ったことないもん。会ったこともない人に偏見っていうか差別なんかしてないよ。差別しようがないじゃん」と答えが返ってきた。
多くの人がHIV感染者を知らない。
また、多くのHIV感染者は偏見・差別を恐れ自ら公表することはない。
02.幽霊?そうではない
これまた例えが不謹慎なのかもしれないが、見たことがないのに恐れるものに幽霊がある。
川柳か何かに「柳の木正体見たり、かれ落ち葉」という作品があったと思う。
正体が見えないものは怖い。
何故怖いのか、実態を知らずに想像だけが膨らむのか。
実態を知ってみれば何でこんなにも怖がっていたのかと思う。
中には正体を知っても怖いという人もいる。
それはその人の自由だ。
しかし、HIV感染者は幽霊じゃない。
01.一緒に働くAさんの話
「知らない、知らない、HIV感染者に会ったことない」という事なかれのような意見に頷いてこのまま済ませてはいかん、何せ厚生労働省の助成金をいただいて実施している事業だし、何より問題解決のためには行動あるのみ。
探してみればいた、結構身近にいた。
HIV感染者と一緒に働くAさんにコメントをもらうことにした。
「求めよ、さらばあたえられん」どこかで聞いた言葉だ。
誰の言葉だっていい。
たまには神も粋なことをする。アーメン。
02.知識はまったくなし
HIVに関しての知識はちっともありませんでした。
大学生のときアメリカにホームステイをすることになって初めて、ホストファミリーに「HIVには気をつけて」と言われたけれど、いま一つピンとこなくて。
滞在中、トム・ハンクス主演の『フィラデルフィア』という映画を見て、英語が十分できなかったけれど、映像がなんていうかショッキングだったので印象に残っている程度で。
その後特に関心ももたず過ごしていました。
03.「普通なんだな」
それから数年後の現在、HIV感染者と同僚として働いていますが、HIV感染者ということは入社した時に本人から聞いていました。
そのときの印象というか気持ちは、思ったほど何にも感じなかったということです。
正直言って自分でももっと驚くとか動揺するかなと思ったのですが、案外何とも思わなかったのでそのこと自体自分で驚きました。
敢えていうなら「普通なんだな」という感じでした。
04.薬害エイズの本に出会う
それでも少しは知識があったほうがいいのかなと思って、恥ずかしいですけれど本当に何の知識もなかったので、本屋さんに行って本を探したました。
どの本も難しそうな感じがするし、帰ろうかなと思いつつ一般書が置いてあるコーナーへ行ったんです。
するとそこで『ゴーマニズム宣言』を目にし、そういえば、エイズについて何か書いてなかったかしら、確か小林よしのりよね、作者はと。
運よく薬害エイズに関する本を見つけ購入しました。
05.今までの無関心に複雑な思い
家に帰って早速読んだら涙が止まりませんでした。
本当にこれが人間のやることなのかという憤りと、いや自分がそれぞれの立場だったらどのような行動をとっていたか分からないなという自分に対する恐怖もありました。
そして、今まで無関心でいたことへの何ともいえない気持ちになりました。
病気自体は免疫値が健康な人よりも低いから抵抗力がないので病気に罹りやすいのか、感染力も思ったより弱いのね、という程度の知識を知りました。
06.どこまで気を遣えばいいのか
一緒に働いていてどうですかと聞かれれば、初めはどこまで気を遣ったらいいのかわかりませんでした、とお答えします。
もともと気を遣わないタイプなので、気を回しすぎると逆効果かもしれないし、そもそも見当違いの気遣いになると迷惑だろうなとも思ったので、ある時から思い切って「○○するとどう感じます?」と聞くことにしました。
その人はどう感じていたかはわかりません。
でも、特に問題もなかったように感じました。
07.賞味期限は? 生ものは?
へんな話、初めの頃、私が気を遣ったのは食べ物のことでした。
来客者がお菓子などを持って来てくれることがありますよね。
その時、賞味期限のあるものなどはチェックしました。
免疫値が低いから、賞味期限が切れているとまずいのかなって。それと忘年会などでは生ものばかりのメニューだと食べるものが少なくならないかなとか。
本当におかしいでしょ。
この調子ですから、やはり気遣いも的外れになるよりは直接聞くことが一番だと思っています。
08.通院以外に特別な感じはない
しばらくするとあんまり病気のことは意識しなくなりました。
通院などは大変そうだなと思うこともありますが、それ以外は特別な感じもしませんし、HIVでなくても通院する人はいますしね。
時には「この忙しい時期に、通院?」と正直心の中で思います。
でもそれはお互い様なんですよね。
私だってお休みをとるときもあるのだしと思い、そんな気持ちを少しでももってしまったことに反省することもあります。
09.病気で休まなくなった
それと不思議なのですが、私はあまり病気で休むことがなくなりました。
以前はちょっと体調が悪いと感じるとお休みをとるタイプだったのですが、今は目の前に病気でも頑張って働いている人がいると思うと、私も頑張ろうという気持ちになります。
あと、私をはじめ周りの人が風邪なんかひいているとうつしてしまって大変なことになりはしないかと、そういう心配は冬、特にインフルエンザの時期は気になります。
でも感染している同僚は何も気にしないで「社会にいたらいろんな人に接する」と。
10.擬陽性にショック
ちょっといい人そうな感じの文章になってきたので、そうでもない話をします。
私はある時人間ドッグを受けた際、HIV抗体検査で擬陽性と診断され大変うろたえたことがあります。
確定診断がでるまでの間非常に不安だったことを今でも覚えています。
HIVに偏見・差別はなく、むしろ理解していると思っていただけに、そのことにもショックを受けました。
私は偽善者ではないかという気持ちでいっぱいになりました。
11.感染者に感染不安を打ち明けた
診断がでるまでとても不安で、同僚に「もしかしたらHIV+なのかもしれない」と打ち明けました。
なんて想像力のないことでしょうか、現にHIV感染している人にHIV感染しているかもしれないので怖いということを告げている私がいました。
もし、自分が逆の立場だったらどんな気持ちになるだろうか。
今思うだけでも胸が痛みます。
同僚は冷静に「大丈夫」と言ってくれました。
未だその言葉の意味を確かめることはしていません。
12.そして得たものは?
診断はHIV-でした。
それ以来、私はこの病気の深さをより一層身にしみて感じるようになりました。
きれいごとではすまされないんだなと。
同僚は以前と変わりなく接してくれます。
付き合いも長くなり、意見が合わないときなどは遠慮なく口論します。
病気があるってことは忘れてますね。
まあ、仕事ですから病気は関係ないって割り切るときもあります。
対人間としての信頼関係があれば多少の問題は良い方向に向くと思っています。
01.この助成事業の目的
ここで一旦事務局からの視点にもどると、そもそもこの助成事業はHIV感染者の自立のためのプロジェクトを行うことが目的だった。
いきなり自立といっても、まあ社会の中で生きて(働いて)いこうじゃありませんか、現に生活しているのだしと思っていたら、様々な理由によって案外社会にでていないということがわかってきた。
これはニートにも似た問題なのかと思い、いきなり社会へでよというパターンは難しいと予想した。
02.社会に出るための3つのステップ
そこで、まず社会にでるまでを
?個別インタビュー
?グループインタビュー
?セルフマネジメントプログラムと3つのステップに分けた。
?と?は実態を把握するという目的は同じであるが、2つに分けた理由はプライバシーのこともあり話しづらい面もあるだろうと考え初めに個別、次に同じ病気をかかえる人の話を聞くことで客観性がでることを期待してグループインタビューを設定した。
?についての詳細は → http://www.j-cdsm.org/
03.導入のきっかけ
セルフマネジメントプログラムをここに導入しようと考えたきっかけは、4年前に日本製薬工業協会主催の『患者中心の医療』をテーマにした活動の一つである米国研修に参加した際に、スタンフォード大学開発のこのプログラムに出会ったことである。
詳細はHPを参照するのが一番だが、要するに『慢性疾患をもちながらも明るく元気で生活しよう!』というプログラムで、患者自身がリーダー(先生じゃないところがポイント)となり行うものである。
04.リーダー研修に参加
何だか面白そうだなと思い日本にも導入しようではないかということで米国研修に参加した患者団体と日本製薬工業協会のサポートもあり、2年前に日本初のリーダー研修が行われた。
それに2名のHIV感染者とはばたき事務局員1名が参加した。
なるほどマクドナルド誕生の米国だけにプログラムはマニュアル化されており、これなら患者もリーダーになれる。
患者2名の感想は「病気のこと話す機会があるようでなかった」ということだった。
05.自分の病気を話す
HIV感染者は確かに病気のことを周囲の人に話す機会は他の慢性疾患患者の人と比べても圧倒的に少ない。
一人でかかえている人も少なくないかもしれない。
しかし、このプログラムではあくまで意志を尊重しつつも(話したくなければ話さなくてもいい)、病気のことを話す機会が生まれる。
しかも、そこに集まっている人々はなんらかの病気をかかえているため、一般の人相手に話をするよりはハードルが低い。
06.参加者の感想は?
それだけでなく、いろいろな疾患で苦しんでいる人を知ることで「なんて自分は不幸なんだ」という自己憐憫に揺さぶりがかかるようだ。
また、ある別の疾患の参加者から「母にこの研修にはHIV感染者の人も参加しているんだよって言ったら、びっくりしちゃったみたいだったので、HIVの人って別に普通だよ、そんなこと言っちゃだめだよと母を叱っておきました」という発言があった。
この時ピンとくるものがあった。
→参加者の感想はこちら
07.病名を告げることの意味
病名を告げたり、説明をしたりする機会をもつことができるこのプログラム、しかも、疾患は異なっても慢性病をかかえる患者には共通する悩みも多く比較的話がしやすく、また聞くほうも受け入れやすくお互い共感できる。
共感をもつことで信頼も生まれるであろう。
何より、姿が見えないというHIV感染者を知ってもらういい機会であるし、当事者が病名を告げて社会へのつながりをもつ良いステップになるのではないか。
08.ワークショップに参加
まずは試しにと理事長をはじめ、はばたき相談員(HIV感染者やその家族)や事務局員もワークショップに参加した。
参加後の感想は好評で、患者は家族にあまり心配かけたくないために病状のことはあまり話さないことがあり、家族は病状が気にはなるものの、もう大人だしあまりしつこく聞いても嫌だろうなと思いひたすら見守っていることを話し、立場による思いをお互いに共有することができた。
09.話したいときに受け入れてくれる
どれくらい自分の気持ちを他人と共有しているだろうか?
一緒に生活していても、病気や、病気ゆえに生じる問題について話し合うことは少ない。
むしろ避けている感もある。
それ自体に良し悪しの判断はない。
話したければ話す。
話たくなければ話さない。
それは本人の自由だ。
しかし、話したいときに受け入れてくれる存在があることは重要ではないか。
それが誰であっても、たまたま隣り合わせたワークショップの参加者であっても。
10.往復6時間かけて参加したり、アメリカで研修を受けたり
ある人は往復6時間かけて週1回で全6回のワークショップに休まず参加した。
ある人はリーダーとして日本各地でワークショップを行い、なんと米国のマスタートレーナー研修まで参加し活躍している。
しかし、まだまだHIV感染者のこのプログラムのワークショップ参加は少ない。
何事も新しいものが普及するまでは時間がかかる。
とはいえ、やはりプライバシーのことが気になるのか・・・。
01.実態を知り、本音を聞くために
HIV感染者に対してはインタビューとアンケートどちらも検討したが、経験上、アンケートの回収率はあまりよくないし、紙面調査ではいまひとつつかみにくい実態や本音を聞きたかったので、数は取れないかもしれないがインタビュー形式をとった。
これまた地域や感染経路によって差があるのかもしれないと考え、いくつかの地域に分けてインタビュー協力をお願いした。
02.思いのほかハードルが高かったインタビュー
個人へのインタビューをまず行う計画であったが、プライバシーのことがあるので、個人でのインタビューは思ったよりハードルが高かった。
時間も限られているので、既に協力の了解を得ていたグループへインタビューを行った。
初めて取り組んだ自立支援プログラムであるが、本当に想定が外れることが多い。
世間の人もHIV感染者の姿が見えないだろうが、事務局も同じだ。
臨機応変にいかねば。
03.1ヶ月の期間を置いて2回行う
グループインタビューは同じグループに1ヶ月の期間をおいて2回行った。
質問内容は生育史、感染告知時の心境、病気、治療に関して、日常生活や人間関係等を過去・現在・将来の時間軸に分けたものにした。
また1ヶ月の期間をおいて2回行った理由は、自分がインタビューに答えて発した言葉から感じること、他者の意見を聞いて気づいたことなど、何らかの変化があるかを知りたかったである。
客観的に自分のことを見る機会を作りたかった。
04.想定外の答え
初めのグループインタビューは少し緊張した。
質問内容も十分考えたつもりであったが、想定していた答えは返ってこなかった。
想定すること自体が、自分の考えにこだわっているということなのか。
これはある意味、偏見ということになるのか?
相手の話を聞こう、頭を真っ白にして話を聞こう。
想定外の答え。
それは思いもかけない言葉を聞くことであり、決してネガティブなことばかりではない。
05.「目標を見つけてくれないかな」
印象に残ったのは「目標を見つけてくれないかな」という言葉だった。
支援はするつもりでいる、しかしどのような状況であっても目標はやっぱり自分で見つけるものではないか。
このような自立支援プログラムを構築する中で、支援という名の下、人に目標を押し付けないように気をつけよう。
あくまでも自分自身が能動的に考えたり行動したりするようなプログラムにしよう、病気があっても自分の人生なのだから。
話が大きくなってしまった。
06.支援をしてくれる人がこれからも支援を続けてくれるのか?
もう一つ、「今は支援をしようっていう人たちがいるけれど、今後支援を続けてくれるのか心配」という言葉である。
人間関係も特に問題がなさそうで経済的にも十分自立している印象のある人の言葉だっただけに意外な感じがした。
実際支援は必要としなくても、支援してくれる人々がいるということが必要なのか。
今は問題がないけれど、将来に対する漠然とした不安なのか。
それは自分も同じだと気づいた。
案外ひとごとではない。
07.就職活動に6ヶ月
1回目のインタビューで少し慣れたのか、2グループ目のインタビューでは、こちらもリラックスでき、かなりプライベートな話を聞くことができた。
特にHIVに感染していることが職場に知れ、解雇された話やその後の就労活動の苦労話など悲しくなるような話であるが、その人は何かを乗り越えた強さを持っていた。
彼は就職活動を6ヶ月続け、ハローワークの人とも顔見知りとなり現在就労している。しかも、同僚に病名を告げて。
08. 開き直って「使えるものはなんでも使ってやれ」
あるインタビューでは、初めは障害者手帳を使うことに非常に抵抗を感じたが、そうも言っていられない状況(病状・経済的な悪化)となり、開き直って使ってみたら、思いのほか使い勝手がよかったらしい。
ハローワークから紹介してもらった職業訓練校も障害者枠で優先的に入校でき、そこでの訓練をもとにハローワークの紹介で就職もすることができた。
「使えるものはなんでも使ってやれ」。実体験にもとづいた印象的な言葉である。
09.働けないことが苦痛という人も
またある人は、病状が悪化して働けない状況が非常に苦痛だったと言った。
いろいろ悩んだ時期もあっただろうが、その時々の自分のできることを冷静に考えて、まずはやれることからやってみようと行動を起こした。
物静かな印象の人であったが、患者である前に一社会人として、自分の存在価値を確かめるように突き進んでいく様子から、芯の強さと並々ならぬエネルギーを感じた。
10.職業・勤務体系はいくつも種類がある
自分の考える仕事像にとらわれている方が多いため、就労をより困難にしているような印象を受けた。
仕事は月?金でオフィスワークということに固執するために、通院の問題やそれに伴う人間関係でのストレス、中には本当はあまり向いていない仕事をすることになっているように思える。
前述した方のように、自分に合わせた、その時々の病状に合う職に就くことも可能だ。
職業・勤務体系は思ったよりたくさん種類があるのだから。
11.手に職を持っている患者は強い
就労に関しては、病気の有無に関係なく手に職をもっている人は強いなと実感した。
特に通勤をしなくともよい職で技術をもっている人は、病気をかかえる人にとって負担が少ないように感じた。
ある方は、住居を転居しても仕事が可能なタイプの技術があるため仕事上で不安に思うことはほとんどないと言っていた。
通勤の負担がなく、通院も気兼ねしなくてもいいという利点はある。
ただし、仕事に自信があり腕がないとこうはいかない。
12.障害者手帳の取得が肝心
地方での就労は求人数の数が都市部に比べて少なく、障害者の法定雇用率が適用される規模の企業が少ないという現状がある。
それでなくても、プライバシーが守られるのか?という不安から、なかなか障害者手帳を取得することもためらうこともあるようだ。
しかし、このケースも病状・経済状況によってはやむを得ずということになる。
事情も分からなくもない、しかしぎりぎりの状況になってからの改善はより困難となるので早めの対応が肝心だ。
13.病気が就労に支障をきたすとは思わない人も
インタビューの中で就労に関していくつかの質問をすると、「何であえて就労のことを聞くのか」、「病気があってもなくても、働くって当たり前じゃないんですか」と病気が就労に支障を与えるとは露とも思わないといった風だった。
実際その人の職種を聞いたが、決して体力的にも楽な種類ではないように感じた。
本人の意識は重要なポイントだ。
病気がある=就労できないと自分で思い込んだり、言い訳にしたりしていないか考えるべきだ。
14. 病名を伝えるべきか、伏せるべきか
これはインタビューではないが耳にした話である。
とても誠実そうなその青年は就職のため約80社の面接を受けた。
初めの71社は自分の病気を告知して受けたがすべて採用を見送られ、その後病気を告知せずに受けた6社には採用の返事をもらったそうだ。
このようなケースから考えても病名を伏せ就職活動したり就労したりしている人は多いはずだ。
この事実をどう捉えたらいいのか...悩む。
病名を伝えるべきか、伏せるべきか。
それでも伝えてみる一歩を踏出してはどうか。
15.もしあなたの部下や上司が?もしあなたが?
逆に企業インタビューの数がとれなかったので、機会があれば上記の事実をどう考えるのか、考えを聞いてみたい。
部下や上司、同僚に、もしかしたらHIV感染者がいて、病気のことを告げられず苦しんでいるかもしれないと想像してもらうことは難しいのであろうか。
また今後自分が感染者となった場合はどのような気持ちになるか考えてはもらえないだろうか。
その時どのような対応をとるか?HIVは決して人ごとではない問題だと思う。
01.自立と家庭環境の関係を知るために
自立といえば、その人の家庭環境なども大きく関わりがあるだろう。
家族だけでなく自立するまでの取り巻く環境はどのくらい影響があるのだろうか。
あまり手を伸ばしてもなんだが、どうしてもその人が育つまでの過程と自立が関係しているか知りたくなった。
当事者へもインタビューの協力が困難だったことを考えると難しいとも思ったが、まずやってみようとお願いすると数名の家族の方に了解を得た。
02.告知する勇気と信じる力
ある母親は息子のHIV感染を知らされたのは感染者本人より先だった。
治療のこともあったが、息子に感染の事実を告げる時、その母親は自分だったら本当のことを知らせてほしい。
ショックは受けるかもしれないけれど、自分の子だから絶対大丈夫だと思ってきっちり話をしたという。
自分を信じる力、そして自分の子を信じる力、淡々と話をしていたがとても強い人だと感じた。
03.兄の感染を妹へ告知
その母親は息子に感染告知をした数年後、その息子の妹にあたる娘が20歳になるのを待ち、兄のHIV感染の話をした。
兄同様、自分の子だからと信じて話をした。
娘はその時ショックのためか自室にこもり一晩出てこなかった。
次の日、何事もなかったように部屋から出て何事もなかったように普段の生活に戻り今日まで至るという。
うまく言葉にできないし、的外れかもしれないが、無言の通じ合い、思いやりがあるこの家族に、インタビューをしていて感銘を受けた。
04.母と息子
ある母親は、息子がHIVに感染していることを周囲の人たちになんとなく知られていたのではないか、という経験をしている。
しかし、仕事が忙しかったから世間話はあんまり耳には入ってこなかったし、忙しくて気にしてもいなかったと言うのだが、これまた何も感じなかったわけでもないだろう。
しかしこの母親の態度が息子に影響しているのであろう。
息子は明るく積極的なタイプである。
時に仕事のし過ぎを心配しているらしいが、母親は本人に任せていると言った。
05.父と息子
またある母親は、息子のHIV感染を知った父親と息子の行動を語った。
当時の父は息子がそう長くはないと思い、仕事を休んでまでも息子の好きな趣味に付き合ったそうである。
私は父と息子の姿が思い浮かんだ。
それを見守った母親はどんな気持ちでいたのだろうか。
知りたい気持ちは山々だが、あまり触れてもという気もし、聞かずじまいとなった。
幸い息子は現在も仕事に励んでおり、先日結婚をしたという報告を受けた。
06.自立支援プロジェクトは役に立つのか?
インタビューを引き受けてくださった人は、いろいろあったけれど乗り越えてきた人々だろうと思う。
HIV感染を家族に告げることさえできないでいる人は少なくないだろう。
それがどんなに辛く不安なことか。
家族とはいわなくても誰か病気のことを告げ理解者がいるのだろうかととても心配である。
しかし、実態がなかなかつかめないのでいる。
そんな時、自分たちのこのプロジェクトはそのような人の役に立つのか確認したくなる。
07.支援が本人の力を奪わないか?
自立支援プロジェクトというくらいだから、もちろん支援はするのだが、支援の仕方によって本人のためにならない場合もあるのではないか。
このプロジェクトに取り組む前に、そもそも支援は必要なのかと検討をしたことがある。
支援することで、本来もっている力を奪ってしまわないか、HIVに関しての生活のしづらさを抱えながらも日常をおくる人々にとって「寝た子を起こす」というという逆効果にならないかと懸念することもあった。
01.ポイントは『協働』
このプロジェクトの計画の中ではないが、間接的に関連するものの一つとして平成19年度本事業団が企画した『HIV感染者就労のための協働シンポジウム』がある。
このシンポジウムを計画する際に『協働』というところにポイントを置いた。
就労はHIV感染当事者だけが努力すれば解決する問題ではないからだ。
またこのシンポジウム開催のためにシンポジウム委員会を発足した。
02.様々なメンバーが集った委員会
シンポジウム委員は『協働』ということを考えて、行政から障害保健福祉として厚生労働省の社会・援護局、そして労働関係として職業安定局、健康保険に関する部署として保険局、HIV医療の面から国立国際医療センターエイズ治療・研究開発センターの医師、企業、当事者、研究者等で構成することを計画し、各機関に委員の件をお願いし、承諾を得た。日本経済団体連合会にも委員の件をお願いしたが、やはり初めての取り組みのためか今回は見送りとなった。
趣旨は理解いただいたようであるが大変残念である。
03.協働がもたらした収穫
委員会は全部で5回行った。初回は事務局から、シンポジウムの趣旨を説明し、次に各委員の自己紹介と各分野のHIV感染者の現状と問題点を出し合った。
さすが各分野のエキスパートである。
的確な問題点の指摘があった。
各委員が他分野の問題点を把握し、他分野の制度等の知識を得たこと、何より横のつながりができたという収穫があった。
就労に関しては、分野ごとに問題を考えても解決につながるかは「?」である。
やはり協働が必要だ。
04.「当事者の声が必要」
第2回目以降は、初回に得た各分野の情報を元に大まかなシンポジウム構成を検討した。
活発な意見が交わされ、中には、遠隔地に住んでいたり、プライバシーが気になったりという理由でシンポジウムに直接参加できないHIV感染者の意見をWEB利用して聞いてみようという案も出た。
この案は今回採用しなかったが面白いアイディアなのでいつか実現したいと思った。
各委員は「当事者の声が必要」という点では一致していた。
05.HIV感染当事者を探せ
『協働』の次に『HIV感染当事者』が重要になってきた。
シンポジウムに演者として参加してもらうことは、限られた社会の中だが世間にカミングアウトすることと同様に当事者はとられるであろうからハードルは高いだろうなと思いつつ、心当たりをあたってみた。
なかなか適当な人が見つからなかった。
患者団体、自助グループ、医療関係者にも協力を求めたが、これがなかなか難しい。
シンポジウムまでの時間がせまっている。
このままではシンポジウムの『肝』が・・・焦りが出てきた。
06.演者決定!
企業アンケートの時のように宵待草のメロディが流れてきた頃、吉報がもたらされた。
シンポジウム演者を引き受けてくれるという返事が来たのだ。
半ばあきらめかけていたので、その時は嬉しくて小躍りし、引き受けてくれるという人が神のように思えた。
この件に関しては、期待をする→あきらめる→希望がでてくるというサイクルを何度繰り返しただろう。
期待をしすぎず、あきらめずに取り組んでいくことが大切なようだ。
07.自分次第
演者を引き受けてくださったBさんと電話や直接お会いし打ち合わせを行った。
物腰のやわらかい方で、初対面であったがとても話しやすかった。
「私はたまたまラッキーだから」と職場環境の良好さを語っていたが、Bさんの自身の努力、人柄、多分職業能力が高いということが本人の言うところの幸運をもたらしているのだろうと感じた。
つまるところどのような状況にあっても自分次第だといえなくもない。
08.開催を前日に控えて
シンポジウムが間近にせまり、プログラムが出来上がり、それに伴う配布資料の準備等で忙しくなってきた。
10月の行楽シーズンの日曜日に一体何人の人が集まるのだろう。
そう思いながら中外製薬さんの好意でいただいた不織布の袋に配布資料を詰め込み終わったのは前日の夕方だった。
袋に貼られたオレンジ色の丸いシンポジウムシールを眺めると、何故か『オレンジ色の憎いやつ、夕刊フジ』と昔の広告のキャッチコピーを思い出した。
09.シンポジウムの協賛にも一苦労
チラシといえば、このシンポジウムに企業からの協賛許可を得るのにも苦労をした。
アンケート回収率が4%だっただけに期待は薄かったが、イメージ的にHIVに理解があると思われる企業(となると外資系企業が多かった)に連絡を取ってみた。
「検討してからご返答させていただきます」という返事がくればいいほうで、「CEOはバカンスで1ヶ月お休みをいただいています」との返事にはさすが外資系企業。
何がさすがかはさておき感心した。
10.数社から協賛を得る
ようやく数社の了解を得てほっとした。
何せこのシンポジウムは『協働』がポイントなのだから、どうしても就職先の対象にもなりえる企業の協賛がほしかった。
一度も連絡を取ったことが無く、うまく趣旨を伝えられたかは疑問だったが、本事業団主催のシンポジウムに協賛いただいた企業には感謝の気持ちでいっぱいだ。
それらの企業が益々の発展をするよう心からお祈りした(嘘くさいと思うであろうが、了解を得たときは本気で思った)
11.シンポジウム当日
シンポジウム当日の天気はあいにくの雨だった。
たくさんの人が集まってくれるといいなと思いつつ受付に立った。
開場の時間がせまりぽつぽつとではあるが人が会場に入りだした。
結果、参加者は約130名。
なまじ会場が広いためかまばらな感じもするが、初めての試みであるから(私としては)よしとした。
いよいよシンポジウムが開始した。
HIV感染者はもちろん、企業、行政、医療者らが協働して、HIV感染者のための就労シンポジウムを開催しよう!ということで、昨年10月14日に「HIV感染者就労のための恊働シンポジウム」を開催しました。 |
12.シンポジウムこぼれ話
シンポジウムこぼれ話。
会場のつり看板は自前で用意した。
会場が大きいので看板は小さく見えるかもしれないが、実は10m×1mとかなり大きいサイズである。
初めは業者に頼もうと思い値段を聞いて驚いた。
そんな予算はないと急遽自前で作成することにした。
文字は書道の先生歴何十年でもある職員に頼んだが、肝心の紙をどこで調達するかで悩んだ。
大きさだけでなく、エアコンの風に耐えうる強度、加えて墨の吸収の良い材質・・・。
13.理事長、世界堂へ走る
書道専門店、文具店などいろいろ問い合わせたが扱っている店がない。
絵画教室に通うこと十数年の自分としたことが灯台下暗し、いつも通っている絵画材専門店の『世界堂』で条件にあった紙があることがわかった。
しかし、準備が忙しく買いに行く人が見当たらない。
と、目の前に理事長が!『立ってる者は親でも使え』という言葉があるではないか。
私は理事長に微笑んだ(けっして睨んではない)。
理事長は紙を買いに世界堂へ向かった。
01.開催地は名古屋、仙台、広島、札幌
シンポジウムが終わりほっとしたのもつかの間、今度はシンポジウム報告会を全国4箇所(名古屋、仙台、広島、札幌)で開催する予定が組まれた。
シンポジウム委員会で報告会の内容を検討した。
東京開催のシンポジウム報告は関由起子委員長が担当し、各地域の事情を踏まえた就労、医療の現状の講演を地元のハローワーク職員、医師に依頼した。
お忙しい中、全国各地へ飛んでくださった関委員長、講演者の方々には感謝するばかりである。
02.名古屋:HIV感染者が発言
まずは名古屋で報告会を行った。
講演は順調にすすみ、会場からの質疑応答の時間になった。
一人の参加者が手を挙げた。
「自分自身はHIV感染を公表するのはかまわないが、地方(田舎)で商売をしている家族に迷惑をかけることはできない。だから制度を利用するのにためらいがある」と言った。
現実なのであろう、HIVは家族をも巻き込む問題なのである。
制度の取得、利用。特に地方ではプライバシーが大きな壁となる。
03.仙台:感染者全体の就労率は50%、薬害被害者は25%
次は仙台。
演者の仙台医療センターの伊藤医師から受診者の就労に関する報告があった。
HIV感染者で就労しているのは全体の半分、薬害感染者においては25%。
体調が理由もあるだろうが、かなり低い数字である。
しかし「税金を払える患者になろう」と伊藤医師は就労をすすめているそうだ。
ACCセンター長・岡医師も強調しているが「HIV患者は就労できる」この言葉は企業・ハローワークだけでなく当事者へも向けている。
04.広島:上からの命令だったとしても
広島での報告会。
演者の応援か?ハローワーク関係者が数名参加していた。
演者は「上からの命令で今日はお話をします」と開口一番言った。
正直なところそんなところだろうと予想していたが、はっきり言ってくれてすっきりする。
どんな理由だって構わない、気にも留めていなかった人こそが、こういう機会でHIVということに一瞬でも目を向けたことが重要である。
当たり障りのないことを言う人よりはいい。
05.札幌:プライバシーが守られた相談は可能
報告会最後の開催地は札幌。
各演者の話の後、北大病院のケースワーカーから、体調が理由での就労の困難さやプライバシーが気になり障害者手帳の取得をためらう、利用しない事例があるとの報告があり、ハローワークではプライバシーが守られた相談が可能かという質問をした。
それに対し、ハローワークからはプライバシーを守り相談を受けることは可能である、まずは自身が病気のことを話してくれるのであればと回答があった。
06.HIV感染者も努力を
HIV感染者の就労状況はけっしていいとは言えない。
そのためシンポジウムや報告会を開催した。
その中で、制度を整えることや企業側の理解は必要だが、HIV感染当事者の努力も必要だと実感した。
ある企業の方が「ある意味就労は病気以前の問題で、そもそも病気があってもなくても仕事の能力や意欲がなければ話にならない」と言った。
厳しい意見かもしれないが自立や就労に困難さを病気だけのせいにしていないだろうか?
社会がHIV感染者の自立、就労に関心を持ち、偏見がなくなるよう、シンポジウムは続けていきたい。
委員の方々、地元で講演を引き受けてくださった人たち、そして当事者からも続けていくことで社会が変わっていくに違いないと企画、開催していく意欲を与えてくれた。
01.芸能人に協力してもらう!?
よく芸能人、特にアーティストと呼ばれている人がHIV/AIDS救済のためのチャリティコンサートに出演している。
それを横目に「いいなぁ、同じくらいHIV感染者の社会的自立に関心をもってコンサートなど協力してくれないかな」と思う。
指をくわえてだまっていてもしかたない。
こちらも協力をお願いしてみるか。
でもどうやって?
エイズ予防財団に相談してみるか。
はてよ、エイズ予防財団は本気でHIV/AIDS感染者自立を考えているのか。
02.世間の壁と姿が見えないHIV感染者
自立支援プロジェクトを開始して1年、予想以上の世間の壁とHIV感染当事者の姿が見えないことが明らかになった。
かたや壁、かたや姿が見えないHIV感染者。
しかし、姿は見えずとも存在しているのだから壁には突き当たる。
壁だって、壁を作っている意識さえないだろう。
現に相手は見えないのだから。
HIV感染者だって好き好んで姿を現さない訳ではないだろう。
双方という捉え方を変換させたほうがいいのか考え中である。
03.とにかく続けること
差別・偏見よりも無関心のほうが問題は大きいかもしれない。
まあ、興味や関心は人様々だから強制は無理だし、強制したところでいい方向に向くとは限らない。
では、どうしたらいいのか?
とにかく続けることだ。
大海に一石を投じるように少しずつ波紋を広げていくことが大切かと思う。
はばたきメモリアルコンサートもそうして今年で4回目を開催したばかりなのだから。
【話がそれましたが興味がある方は→メモリアルコンサートへ】
04.広がる無関心
この問題に取り組んではや20年以上だと理事長は言った。
先に進んでいるのか、後退しているのか。
年月だけは経過している。
取り組みをしているのだから少しは進んではいるのかもしれないが、年々、無関心さが広がっているような気がするので全体的にみると後退というべきかもしれない。
理事長の物忘れ具合だけは確実に進んでいる。
しかも都合のいい場面では特に。
05.次年度に向けて
次年度もHIV感染者の自立支援のための活動として就労を中心に取り組んでいく。
企業アンケート回収率を4%から10%としたいし、企業インタビューの協力など、企業にアプローチしていく計画を立てている。
また、HIV感染者の病名をオープンにする最初の窓口となる医療機関にもアンケート等の協力をお願いする予定である。
今回大変お世話になったハローワークにも、助成事業の成果としてのHIV情報を報告書・Q&Aなどを通し周知に呼びかけたい。
06.無関心な人に読んでほしい
この一連の文章を読んでいろいろな意見や感想があると思う。
少しでも役立てば幸いだし、批判的な意見もあるだろう。
それでも読んでくれた人には大変感謝する。
一体どのような人が読んでくれたのだろう。
HIV感染者、ハローワーク、企業、行政関係者、どの人にも読んでもらいたいとは思うが、一番読んでほしいのはHIVに関心がないような人である。
関心がない人がはばたきのHPにアクセスするかは置いておいて・・・。
07.『それでも』を使うとき、そこには必ず良きことを信じる力がある
「それでも」「それでも」と心の中でつぶやきながらこのプロジェクトを続けてきた。
HIVは病気的には(+)でも、一般的には(?)なイメージに覆われているから。
偶然、『それでも僕はやっていない』という映画がTVで放映されていた。
また、自分の愛読書の一つに『それでも人生にYESという』というタイトルのものがある。
どう解決していいか、先が見えないような状況の中で『それでも』を使う時、そこには必ず善きことを信じる力がある。
長く病気と共生生活を送るためには
長く病気と共生生活を送るためには、自己管理を無理しないでつづけることが大事だと思います。
会に参加して、医師とのコミュニケーションのとり方で、「診察の前に聞きたいことをメモして受診すると、短時間で必要なことが聞ける」などの実践的な知恵を学ぶことができました。
また、運動不足の私には、バス停一つ前で降りて歩くことなど無理のない目標を立てて実行していくことの重要性や気持ちが落ち込まない工夫を、慢性疾患患者同士の安心感であらためて学べ、今後も続く共生生活の強い励みとなりました。
セルフマネジメントプログラム研修に参加して
受講前は「違う慢性疾患の人達と一緒に、どんな研修になるのか?」という不安で一杯でした。
しかし実際受講して、同じ時間を違う慢性疾患を持つ方々と共有し各セッションを受講するに従って、抱えている問題には多くの共通する点がある事、そしてまた、自分では気がつかない視点から問題解決法を提示していただいた事等、違う疾患の人達と一緒に研修を受ける事の重要性、必要性を肌で感じました。
参加して「良かった」、そして「楽しかった」研修会でした。